第九話 嬉しいキスって、どんな時?


毎日、女性の病棟だけで、何人か亡くなっていきます。

 

7ヶ月間の中で、たくさんの人を看取ってきました。

 

最初に看取ったのは、骨と皮だけの20kgあるかないかの女性です。見た目は老人のようですが、たぶん本当の年齢は30歳ぐらいだったんじゃないかなって思います。

 

その女性は、一階の50人ぐらいの病室にベッドがありました。

HIVポジティブだったのですが、筋肉の合併症にもかかり身体が、くの字のまま麻痺というか硬直して固まっていました。

 

排泄もそのままの格好なのですが、カテーテル(排尿のための器具)を尿管に差し込むのも何度もトライしたのですが、股間を開くのができなくて挿入できず、ダイパーもないため、なるべく排尿、排泄したら敷いてある布を変えてあげるように現地のワーカーの子と協力していました。

 

同じ格好のままで自分で寝返りもうてないので、ベッドソァーズ(床ずれ)がひどく、ベッドに当たっている部分、皮膚がぐちゅぐちゅで、向きを変えても両方の皮膚が同じ状態なので、布をいくつかまるめてその部分がベッドに擦れないようにしてあげていました。

 

初めてこの女性をみたとき、汚物の悪臭がひどく、両肩から両脇腹にかけて、床ずれでぐちゅぐちゅになっている皮膚も誰にも気づかれなかったのかそのままになっていて、その皮膚のところに排尿と汚物もきていて、どのぐらいこの状態で過ごしていたんだろう…って、つらかっただろうなって思いました。

 

手当てや汚物をきれいにする以外にも、身体や顔をきれいにしてあげたり、爪の垢をとったり、しらみをさがしてあげたり、話しかけたり。

 

でも、その女性、ヤシンはいつも一言も言葉をはっしませんでした。

水がほしいとも布をかえてほしいともなんとも。

 

痩せこけた顔に大きな目で、瞬きをほとんどせず、表情がなく、いつもじっと私の動きをみていました。

 

返事がいつもないヤシンに勝手に話しかけて、いつものようにおしりから汚物をとってあげて布を新しいのにかえて、「デナデル ヤシン」(おやすみ。ヤシン)ってベッドを離れようとしたら、ヤシンが私の手をとって私の手にゆっくりキスしてくれました…。

 

嬉しくてたまりませんでした。お返しにほっぺにキスしまくりでした。

 

 

ある時、ヤシンがいつもと変わらないように、毛布の隙間から、 私をじっと見ているのがわかりました。

「ヤシンーデナニシー?テナントマタタイニタシャ?」(調子はどうかな? 昨日の夜はよく眠れたかな?)

って話しかけて毛布を少しずらして顔をみてみると口から泡がたくさんでてきていました。

 

急いで、ドクターを呼びにいき、戻ったところで、黒目が左右に動きはじめていました。

 

小さなかすれた叫び声に似た言葉をはっして、ゆっくり深い息をして、目を大きく見開いたままそのまま亡くなってしまいました。

 

今まで、みんなのカルテをみても、なんて書いてあるか理解する英語力、医療力がなくて、それぞれの患者さんの病名、手当ての仕方は、忙しいドクターから、ささっときいていました。

 

亡くなったあと、ヤシンのカルテをみて、そこにかかれている英文を、紙にかきうつして、自分の部屋に戻ってから英語の辞書を開いて調べてみました。

 

人と関わりたがらず、攻撃的。治療中危険を伴う。

って記入されていて、攻撃的だなんてこと一回も思ったことなかったし、ヤシンが手にキスしてくれたり、いつもじっとわたしのこと見ててくれていたのを思い出して、もっとたくさんヤシンにしてあげれたんじゃないかって思いました。

 

何をするにも自分ではできなくて、ベッドの上がすべてで。

えらそうなことは何もいえませんが、ただただ、天国で身体を自由に動かして大好きな人達と心地良い空間にいてくれたらって思うばかりです。

 

2007年3月31日 原題「ベッドの上だけの生活」