第十五話 プラ子、夢を持つ

今はエチオピアのアディスアベバから、バスを国境まで乗り継ぎケニアとのボーダーの街で、「過酷なんじゃ!」といわれていた。タンクローリーの荷台に一緒にボランティアしていたAUの男の子と二人で29時間かけてきました。かなりの埃まみれで荷台は、現地の人達であふれかえっていて、ぎゅうぎゅうの荷物になった気分だったけど 思ったより大丈夫でした。 逆に景色も夕日も朝日も星空もみれて。

いつもいい景色を見れたときは、亡くなってしまった日本の親友、エチオピアで亡くなっていってしまった患者さんたちを想います。

 

ケニアのナイロビは危険だっていわれているけどなんとなくエチオピアからくると久々の都会で、ちょっと嬉しいです。

なんでもそろっているし、エチオピアとはまったく街の雰囲気も人々の雰囲気もがらっと変わります。

どちらの国もアフリカ人以外は殆どみかけないのはおんなじですが…。

ずっとエチオピアで自分のだらけた時間(といってもネットゆっくりしたり、ぼーとしたり)がもてなかったので、ナイロビでのんびりしようと思います。

 

 

エチオピア、毎日朝から夜まで休みなく働いた施設。

目標って思っていたけど実際、働いてみたら 恐くて、自信がなくてすぐ施設をでちゃうんじゃないかって自分に自信がさっぱりなかった。

 

でもこの経験で、すごくすごく自分の弱さもずるさも汚さとも向き合えたし、向き合えただけじゃだめなんだけど、自分の将来の夢やっと見つかりました。

 

すっごくすっごく時間もかかるし相当努力しないといけないんだけど、できない。は言いたくないから、チャレンジしてみようと思います。

夢がかなうのは何年後になるかわかりませんが…。

 

27年生きていることがどれほど奇跡で健康であることがどれほどありがたいか、私よりまだ若いのにみんなどんどん亡くなっていってしまう中で、生きていくことについて考えさせられました。夢を持てるだけどれほど幸せか。

 

 

生きていくことの難しさ、生きていることのありがたさ。改めて教えられました。

 

物質的に豊かでも自殺者やうつ病の症状のある人の多い日本だったり先進国。

貧しくても笑顔のある毎日の国。

貧しいことは不幸ではないと思うけど、私が不幸だと思うのは、 貧しいがゆえに、飢えに苦しんだり、病気になったり、死を待つしかすべがなく、生きていく上で、選択権を持てない人々。

 

誰かの言葉で、「幸せというのは、朝自分で服を着れること。」

って聞いたのを思い出しました。

 

暖かいベッドと食べるもの、飲むものがあって、話を聞いてくれる人がいて。

最低限の幸せなのかもしれないけどとっても大切ですよね。

 

2007年3月28日 原題「思うこと」