第十三話 もっと!アフリカ

また長いこと日記書けずにいました。少し都会的なネットやさん(といってもモザンビークレベル。)写真、貼り付けれそうなので写真載せていきますね。カメラ、あっさり奪われるのが怖くてあんまり写真撮れていませんが…。

 

 

まだモザンビークにいます。しばらく、前にもいた現地のお友達の家に戻ってきています。

 

一緒に住んでいる家族は、15人ぐらいなのですが、空いた部屋を貸家でお友達に貸しているので20人ぐらいで、みんなでバラックとわらぶきのお家に一緒に住ませてもらっています。

 

子供たちも近所のお家にもたくさんいるので毎日わいわいして今はこの家族のお仕事の手伝いをしています。

 

アフリカにもう少し残ろうって決めてなんとなく考えていたこと、アフリカの普通の人たちの生活見てみたいなって思っていました。

 

どこの国でも施設にいる子達、早く施設の外に出たい子、出たくない子。施設のみんなが具合が悪くなる前に過ごしていた生活のこと、みんなが施設を出た後に戻っていく生活のこと。

 

だーって広がっている砂埃まみれのみんなのバラックやわらぶきの家、小さな町からも離れた村の人たちの毎日がどういう感じなんだろうって思っていたのもありましたが、安全がある施設の中でほかの国の先進国からきたボランティアの子たちと、一緒に過ごすのや、安宿に泊まって短い期間で色んな場所にいって移動移動って前みたく一人で旅をしているのとは、また全然違って、自分一人で現地の子達の生活の中にぽつんって入らせてもらって半年以上過ぎました。

 

毎日いろんな良くないことばっかり起こって、私全然だめで、現地のみんなとのことや、やっぱり油断できないこと、気付いたら自分の生活やたいした手伝いできてないけど仕事のこと、みんなとの関係で毎日いっぱいいっぱいになってしまっていました…。

 

たくさんいる子供たちのかわいさでほっとさせてもらえてますが…。

 

他の国の会社のお手伝い以外、この1年でバックパッカーの子や先進国の子に会えたの4、5回しかなかったなーって思いました。

 

考えてみたらケニアを出てから1年以上、日本人の人に会うこと出来たのジンバブエの首都にいた時の1回だけです。

 

でもモザンビーク、ポルトガル領だったからポルトガルの方たちも(モザンビーク生まれですが。)います。

 

別の町に行ったときに孤児院があるって聞いて何日か通わせてもらいました。

 

そしたら優しそうなポルトガルの年配の女性が生まれたばかりの小さな赤ちゃんを暑い中あやしていて20年以上前から身寄りのない子供たちを自分の家に連れてきはじめて、今はしっかりした施設になっていました。

 

この小さな小さな赤ちゃんのお母さんは精神障害があってレイプをされてしまって気付いたら赤ちゃんが出来ていて。

 

孤児院に預けられる子たち、レイプで出来てしまった子供たちも多いです。

 

ここに、10歳ぐらいのくりくりした目の女の子がいて、その子のうすいピンクの服に、小さな日本語で岡山クリニック“松下”って縫ってあって、寄付で送られてきたのか、どこかの国で中古の服で売られてたのがここまでたまたま来たのかわかりませんが、ちょっとびっくりして、嬉しかったです。

 

2008年6月8日 原題「普通の生活のこと」