第十四話 プラ子、想う~エチオピアと出会ってから~
日本出てから、もう50カ国ぐらい旅してきました。
アフリカ大陸を旅して、エジプトも含めると、今は8カ国目になります。エチオピアの物乞いの路上生活の人達の数は、今まで行った国の中でも、群を抜いていると思います。
首都などの都市、どの国でも悲しいことですが、物乞いのかたいると思います。
でも、エチオピアでは、地方の町にも小さな町にも本当にたくさんの物乞いの子達、人達がいました。
地方の施設に何箇所かいったとき、施設によって支給するものはばらばらですが、
南部の施設にいたときに、週に1回、インジェラ(主食)を作る粉とインジェラを作るオイルを無料で配っていました。前日の夜から、施設の門の外に、支給を待つ人達がみんなで眠って朝が来るのを待っていました。
朝5時前に、人達の声で目が覚めて、まだ暗い外に出てみると、数百人の人達が、冷え込む朝にもう待っていました。
朝8時に粉とオイルの支給がはじまります。500人以上のかたたちが嬉しそうに待っていました。最初にみんなでお祈りを捧げてそれから現地のワーカーの子と粉まみれ、オイルまみれになりながら、支給のお手伝いしていました。
北部の施設にいたとき、夜明け前のまだ薄暗くしーんって静まり返った町に出たとき、町の一番大きな道路の両脇に、薄暗い中で、たくさんの人達が横になっているのがわかりました。
ずらーと何百メートルも本当にたくさんのかたたちがみんなでびっしり眠っていました。
ここの地域の施設では、毎日、コップ1杯のミルクと、ビスケット一人6枚支給していました。支給のお手伝いをしながら、みんなが美味しそうに飲んで食べる顔がとても嬉しかったです。
北東部の施設では、お米と、オイルを毎週月曜日に支給していました。みんなが大切そうにもってくる、お米を入れる袋、本当にぼろぼろで小さなバケツ一杯分のお米いれてあげて、そしたら袋がぼろぼろ過ぎて全部こぼれてしまったり、よたよたした小さなおばあちゃんにどうやったらこんな重たいお米とオイル運べるのかいつもはらはらしていました。でもそういう時は決まって、若い男の子や女の子たちが助けてくれていました。
この地域は、日中、本当に暑くて、それでもみんな暑い中、お米とオイルもらうために何時間もかけて頑張って歩いてきます。
1000人以上の方々が毎週来るので、待ち時間も、暑い日差しの中、長く、それでもお米、袋にいれてあげたときの本当に嬉しそうな顔をみて、私も嬉しくなっていました。
エチオピアには小雨期、大雨期あります。この施設に一緒にいった、スイスの女の子と、夜眠るとき、二人で色々いつも話していました。
小雨期に入りかけた時期は、太陽がある日中は暑くても、夜はかなり冷え込みます。夜、眠る前、大雨が降っていて、部屋の中にいてもお互いの声が良く聞こえないほどの大雨で、サンドラが
「さやかー想像できる?こんな寒い大雨の夜の中、みんなどうやって路上で眠るの?」
二人で、もしもこの子たちがうちらの国に生まれていたら。ってよく話していました。
ただ、安全で安心できる場所が、必要だと思いました。
レイプや暴力、肉食のハイエナやハゲタカから身を守れる場所日本みたいに屋根のある建物がないからみんな雨が降ったらずぶぬれで、体もとても冷えてしまうし、病気や雨や寒さをしのぐ場所、安心してぐっすり眠れる場所。1日2食でもいいから食事の確保、時々はおなかいっぱい食べれるだけの食料。細菌ばかりの泥水のようなお水ではなく、しっかりきれいな飲み水。雨の降らない乾期は川のお水もなくなってしまうから何ヶ月も体を洗えない状態で衛生状態の悪化、それを防ぐこと。最低でも病気の痛みを和らげるお薬。
学校とか仕事とかの前に、人として生活していくうえでのほんとうに最低限の安全であること、薬が手にはいること、飢えないことが難しい生活。
エチオピアは今だに100年以上前から断続的に戦争し続けているっていわれています。隣国のエリトリアやソマリアなんかと今も緊張状態にあります。
そのため、国は防衛のためのお金、戦争のためのお金国も経済も政府も戦争によって混乱して、国民のみんな、特に貧しい生活の人たちは、もっと混乱した中で、他国からの援助支援なんかも本当に援助を必要としている人にはほとんどいってなくって、きっと戦争のための武器や装備に使われていたり賄賂だったりに使われているんだと思います。
5歳になる前に亡くなっていってしまう子供たち。5人に1人、4人に1人の割合ともいわれています。
下痢になっただけで、生まれたとき、生まれる前から極度の栄養不足の状態の小さな体は、とても弱く、脱水症状になってしまったりして亡くなっていってしまいます。
どうしてうまくいかないんだろう。みんなたくさんは望んでないのに。ただ普通の暮らししたいだけなのに。いつもいつも思って、他のボランティアの子たちとたくさん話しをしていました。
こんな苦しい状態のみんな目の前でみて、たくさん話して、みんながどれだけ苦しんでいるかわかっているのに、それでも、旅、もう止めて、私の今持っている日本で貯めたお金全部使ってそのこたちに尽くすことしてない自分がいて、私はいったい何なんだろうって。一番ひどいことのような気がして。
今でも考えて思ってわからなくなって。これでほんとうにいいのか、苦しむ国のひとたちを、みてしまうこと。知ってしまうことがこういうことだったんだって。
自分の弱くてずるい気持ちがはっきりわかって。今でもずっと考えています。
ぐちゃぐちゃな文章でごめんなさい。
2007年7月7日 原題「胸が痛くなること」