第二話 「怖くないですか?」???
体から汚物をとったり、尿管、肛門に器具を入れたりするとき、それぞれのトライブ(部族)の割礼のあとがわかります。
聞き慣れてない言葉だったので最初、患者さんの各部分を見たときなんでこんなふうになっているのかわかりませんでした。それも患者さんによって、全く違うふうで、でもみんな痛々しそうで割礼の意味を知らない私はなんだか複雑な気分でした。
アルマズという10代後半ぐらいの女の子がいました。すごくかわいい顔立ちで、いつも自分の1歳になる子供の話してくれていました。彼女もHIVポジティブでした。
彼女も割礼の後がありました。下半身が全く動かない体なので、尿管にカテーテルを入れていたのですが、カテーテルは時々、炎症を防ぐために交換します。
彼女の割礼のあとは尿管の部分にもきていて、カテーテルを入れるのがだいぶ時間がかかりましたが、なんとか挿入できました。
取り外しのときに、中で、薬品でバルーンを作ってぬけてしまうのを防ぐのですが、そのバルーンの薬品をぬきとって外す際、私の不注意で尿が一緒に飛び出てきたりして、思いっきり私の顔にかかって、目の中、口の中にその子の尿がはいってしまったり、アルマズは全く悪くないのに、
「ごめんねチャラカ。ごめんね。ごめんね」
ってずーと謝ってくれている子でした。
粘膜感染、何万分の1だけどあるって聞きます。
でも、それでもいいと、この病気で苦しむみんなを知っているだけにそんなこと軽はずみに言ってはいけないのだけれど、それでもいいと思っていました。そう自然と思えてしまうほど、あんまりにみんながみんなHIVポジティブなので、自分が今まで普通にこうして生きていること、自分の足で立っていられていること、26年間生きてこれたこと、家族がいること、これだけで充分だったんじゃないかって思いました。
一度、エチオピア在中の韓国人の男の子に会いました。その男の子は、私に、
「失礼に聞こえたらごめんなさい。そういう施設で働いて、ポジティブの方と接して怖くないですか」
と聞かれました。
すごく不思議な感じがしたのを覚えています。
私にとって、ポジティブということよりも、友達が苦しんでいるからお手伝いしているだけな気がしました。
彼女の赤ちゃんが、ひきとってくれている近所のかたと一緒に、一度だけ面会にきました。
いつも笑顔を絶やさないアルマズが大泣きして、上半身だけが動く体で一生懸命その子をしばらく優しく抱きしめていました。
その赤ちゃんは、皮膚の感染症にかかっていて髪の毛、眉毛もなく、顔の肌もただれていて。
「早く一緒に暮らしたいよ。どうして私の体こうなんだろう」って
赤ちゃんが帰ってしまったあと
「悔しいよ…」って
動かない足を叩きながら泣く彼女がせつなくてたまりませんでした。
彼女の隣のベッドの子、ラフェルという女の子も麻痺をしていました。
あるとき、ラフェルのベッドに座って、バナナをむいて食べされてあげていたときに、隣にいたアルマズが、
「ムース(バナナ)落ちているよ」
って教えてくれて、それを拾ってアルマズのほうを見たとき、
少しだけアルマズの様子がおかしいのに気付きました。
「アルマズ 大丈夫?」って声をかけると
「うん。大丈夫。チャラカ、のどが渇いたからお水とあとブルトカン(みかん)が食べたいの。食べさせてくれる?」
って言いました。
いつも自分でみかんをむいて食べるアルマズが珍しいなって少し頭をよぎったけど、アルマズのベッドに今度は座って、みかんの皮をむいて食べさせてあげて、
途中で、病室の外で、誰かが叫んでいるおかしな声が聞こえて、
「ちょっと待っててね」って
少しだけ外に様子をみにいって少しして戻ったら、アルマズの体も顔も大きな目ももう固まっていました。
いつも呼吸でわかるのに、このとき、アルマズの呼吸、おかしかったの気付きませんでした。
「アルマズ、アルマズ、まだ、みかん、全部食べ終わってないよ。食べなきゃ。食べて…」
意味がわからない言葉を泣きながら言って、
アルマズアルマズって何回も呼びかけている声で隣にいた、ずっと仲良しだったラフェルも首にも麻痺の症状が出て、隣の彼女の姿は見ることがうまくできなかったからか、気付いていなかったようで、私の声で異変にきづいたのか、いつも隣のベッドで二人で話しをして励ましあっていたお友達が一瞬にして亡くなってしまったことで彼女が受けたショックはとても大きく、
自分で涙を拭くこともできない彼女が我を忘れたようにおいおい泣く姿が悲しくてたまりませんでした。
まだ母親の死を理解できないアルマズの赤ちゃんのことを思いました。
亡くなったアルマズの体からエチオピア正教の子がつけている、黒いひもと木でできている十字架のネックレスはずして、アルマズの赤ちゃんに渡してもらえるように管理の人にお願いしました。
一度、若い女の子が亡くなりました。
その子には2歳ぐらいのやっと歩けるぐらいの男の子がいました。
その男の子は、同じ施設の子どもの棟にいて、1ヶ月に数回お母さんに会いにきていました。いつも大きな声を出して嬉しそうにお母さんと笑っていたのを私も覚えています。
その若いお母さんもある日、亡くなってしまって、でもその男の子はいつもと同じように会いにきて一生懸命同じ、お母さんのいたベッドにきて、違う患者さんが眠っているのを不思議そうに見て、しゃがみこんで、ベッドの下を見てお母さんを探している様子がとても悲しくて。
こういう風にしてお母さんを亡くしていってしまう子がどれだけいるのかなって思うと、胸が痛みます。
家族が誰もいないという子の悲しそうな大きな目をみるたび、ただ私が家族だよ。なんて冗談まじりに言うことしかできないけどでもそれでも嬉しそうに私の胸からミルクを飲もうとするしぐさがとってもかわいくて。
本当にずっと一緒にいたいなっていつも思っていました。
2007年4月26日 原題「割礼のこと」