第六話 たったひとりの家族にも会えないで
ツォハイという30歳ぐらいの女性がいました。
彼女も末期がんでした。
彼女は股間におおきな腫瘍ができていて、いつもたくさんの膿と血がでてきていました。
最初のうちは彼女はいつも手当てを嫌がっていました。
手当ての最中少しでも痛いと、
「もうやめて。今日はもう終わり」
といって、股を閉じてしまうことがよくありました。
またの腫瘍の痛みと重みで、なかなか思うように歩けずおトイレも、洗面器を持ってあげて腰をうかせてがんばってベッドの上でしていました。
ほぼ両足をまげて開いたままずっと寝たきりの毎日でした。
最初のうちは、私にいう言葉は、何かがほしいときだけでした。
それでも、私が少しずつ言葉を覚えてきたせいもあってか色々話かけてくれるようになりました。
そこまで口数が多いようではなかったツォハイだったけど、本当に時々見せてくれる笑顔がとても素敵で笑顔を見せてくれた日は私もすごくうれしい気持ちでした。
ある日、彼女が私を呼んで、
「お願い。どうしても外のお店で買った白いインジェラとケーキが食べたいんだけど。いい?」
って、言いました。
原則として、何かを患者さんにあげることは禁止されています。
ですが、あんまりに具合が悪そうだったのでそういう時は…って許可がでていたので、急いで施設の外に買いに行って、
「はい。ツォハイ買ってきたよーっ。最初にどっち食べる?インジェラ?ケーキ?」て
プレートにあけながらいうと明らかに苦しそうで
「大丈夫?食べれるかな?」
って言うとゆっくり手でつかんで一口インジェラを食べて、一口ケーキを食べて。
それから
「見て。私の股間みて。チャラカ」
って言いました。
毛布をめくって見てみると、
たくさん血が、どすぐろい血の固まりがでてきていました。
どろって流れ出るようにでてきていて足先まで黒い血でたくさんで。
本当に大きい固まりで 頭ぐらいの大きさでした。
私は一度、運ばれてきたばかりの患者さんもこの状態でお医者さんも何もできずに亡くなっていってしまったことを思い出しました。
止血の薬と、その血の固まりを取り除いて、体をきれいにしてあげて、急いで、点滴をして、そばにいると、ただ苦しそうにじっと私をみていて話かけても返事、してくれませんでした。
もぅ夜遅く、管理の人もいず、ツォハイの子供がいる子供の棟に明日朝一番で行って子供を連れてこれる許可をもらってツォハイのところにきてもらおうって思いました。
朝、早くにツォハイのベッドに行くとかなり弱っていて呼吸が変わってしまっていました。
内線電話はないので、急いで、子供を呼んできてって近くにいたワーカーの子にお願いして、私はその日、朝から病院に患者さんといかなくてはならず、車が待っていたので、でもツォハイの様子がすごく気になってしばらく一緒にいました。子供がくるまでそばにいようと思って。はやく、はやく赤ちゃんきて、って思ってました。ツォハイが瞬きをしない目で私の目をじっとみて苦しそうに何か言おうとしました。
でも聞き取れなくて。そのあとすぐ、目を大きく開いたまま、私の目をじっと見たまま、もう動いてくれませんでした。
最後にツオハィのたった一人の家族、赤ちゃんに会わせてあげたかった。それが出来なかった自分が悔しくてたまりませんでした。
もっともっと早くにきて、子供連れてきてあげればよかった。
後悔ばかりで、申し訳なくて たまりません。
2007年5月6日 原題「ツォハイのこと」